タイ進出は苦難の連続。でも熱意があったから成功できた。

堤 大

入社年
2006年(中途)
所属・役職
洗浄プロセス営業部
洗浄プロセス営業室室長

タイに憧れた少年時代

高校生の時に親友のお父様がタイに駐在しており、毎年、そこに遊びに行っていたことがきっかけで、当時より、タイ、そして駐在員の生活に憧れのようなものを抱いていました。

新卒では別の会社に入社しましたが、「タイで仕事をしたい」という想いがどうしても断ち切れず、1年半で退社。貯金をしてタイに向かいました。10カ月余り学校に通い、タイ語の基礎はそこで学びました。

帰国後にタイで事業を展開している企業を探していたころ、JFE商事エレクトロニクスと出逢い、受けた面接で「タイ駐在希望ならうちに来なさい!」という力強い言葉をいただき、そのまま入社しました。

逆風に見舞われたタイ進出

堤 インタビュー写真

JFE商事エレクトロニクスに入社して3か月間は、商品知識をつけることを目的に、当社取引先である工業用洗浄機メーカー、クリンビーの研修に行かせていただきました。そこでは製品知識の習得を勿論のこと、クリンビーの社員の方と深い関係を築くことができました。研修終了後は、国内のお客様に何台か洗浄機を販売させていただき、入社1年が過ぎた頃には、タイ駐在の辞令を受け旅立ちました。

ちょうど当時、クリンビーと共同でタイ進出を進めており、現地でのビジネス確立に一から関わらせていただきました。日本とはすべて勝手が違いますので、納入した機械が故障したり、お客様の工場のラインが止まる寸前まで、工程に用いる洗浄液の配送が遅延したり、最初はなかなか思ったような結果が出ず、非常に苦労しました。私自身、タイに何度も行っていましたが、仕事は未経験でしたので、タイ人の価値観に戸惑うことも多々ありました。南国の人なので、食べ物に困ることはありませんし、寒くないので凍死することもありません。おだやかというか動かないというか……。「最後は日本人がなんとかするだろう」とどこかで思っているので、トラブルがあってもどうしようもなくなるまで言って来なかったりして、日本では当たり前の「責任を持つ」ということを伝えるのがまず大変でした。赴任後の最初の1年は記憶にないぐらい忙しかったですね。

先駆者だからこそのシェア7割

当社が属するJFEは、主に鉄鋼製品を扱う企業グループですが、鉄を販売した後の加工の工程にも様々なビジネスチャンスがあります。加工するためには、鉄の母材に潤滑油としての加工油を塗布してプレスや切削をします。油がついたままでは組み立てができないので、必ず脱脂洗浄する必要があり、そのための機械が、当社が扱う洗浄機になります。日本では、古くからの商習慣など様々な障壁があり参入が難しくても、タイでは私達が先駆者ですから、そのシェアは7割を占めています。一度シェアをとってしまえば、洗浄液等を継続して販売することができますので、まずは機械を導入してもらうことがとても大切なビジネスです。

コロナウィルスによる渡航制限がない時期は、今でも月の半分ぐらいはタイに行っています。タイからベトナムやフィリピンなどの新しい市場の応援に行っています。パスポートは、入出国の記録が年間100スタンプを超えています。タイ語の見た目はとても難しそうに見えるのですが、実はローマ字読みと同じで母音と子音の組み合わせだけで、文字を覚えれば読めるようにはなります。私は26歳から35歳まで、9年間もタイに駐在していましたので、それぐらい住んでいれば言葉は自由になります。
とはいえ、言葉よりもやはり大切なのはやはり、常に熱意を持ち続けることだと思います。

積極的にチャレンジすることの大切さ

堤 インタビュー写真

当社は、若い時から活躍できる会社です。私は26歳から、私の後輩は24歳からタイに駐在しています。海外駐在の可能性は、各営業部が手掛ける事業により異なりますが、部署間の人材ローテーションもあり、「海外に出て仕事をしてみたい」「いろんな価値観と触れ合いたい」と熱意を持ち続けている人には、早期にチャンスが訪れるのではないかと思います。

私たちの仕事は遠洋漁業に似ています。自分たちが出ていかないと、近海に採れる魚はいません。「外洋のこの辺りに大きな魚がいるのでは」と日本で情報集めをして狙いをつけて、いざ出発したら失敗を恐れずに果敢にチャレンジすることが大切です。そういった意味では、指示待ちではなく、自分で考えて自発的に動いてくれる、かつ、チームワークを大事にしてくれる人と一緒に仕事をしたいですね。